エリー・キョンラン・ホ Ellie Kyungran Heo/韓国

☆このインタビューは信濃大町あさひAIR主催のアーティストインレジデンスプログラム2016の一環として行われ、展覧会に合わせて制作されたアーティストブックに掲載されました。

エリー・キョンラン・ホ Ellie Kyungran Heo/韓国

Interview

■信濃大町での滞在制作はいかがですか。
「時・水・稲作」というテーマに共感してあさひAIRに応募して、本当に良かったと思っています。大町に初めて着いた時、黄金色に揺れる田んぼに感激しました。私は滞在期間中、様々な場所で稲作を取材、撮影させていただきました。黄金色に揺れる稲穂、収穫、日干し、脱穀、そして藁をまた田んぼに戻している姿にエネルギーの循環を感じ、沢山の大町の人たちと出会って、その真摯な生活に胸をうたれました。私の中で、深い黄金色の籾の内側の、真っ白できれいな米粒が大町の人のイメージと重なって、大町の人はお米みたいだと思うようになりました。

■エリーさんの将来の夢ってなんだったんですか?
私は昔から、学校の先生になりたいと思っていました。小学生の時は小学校の先生になりたかったし、中学生の時は中学校の先生になりたかった。素敵な先生がいて、そんな大人になりたいなと、先生に自分を投影していました。中学校の美術の先生が私にアートを勧めてくれたんです。高校の時も高校の先生になりたかったのですが、大学では、大学の先生にはなりたいとは思いませんでした。それもあって大学を卒業してから6年間、高校で美術教師をしていたんです。

■美術の先生から、なぜアーティストになったのですか?
私にとって6年間高校の美術教師をしていたことは、あらゆる意味で良い経験だったと思っています。クラスを受け持って教えた子供たちはそれぞれ、全く違う個性を持っていました。その時に実感した「多様性」は、私のアーティスト活動における大切な軸になっています。アーティストへの道を踏み出したのは、先生として一生過ごす事に迷っていた時に、ノマド的生活についてのある本に出合ったのがきっかけです。教師の仕事は本当に楽しかったのですが、自分にとって心地よい場所から抜け出して、より自由に生きる方法を試してみたいと思い、一念発起して、イギリスの美術大学に入りました。最初は自分がどんな方法で表現をしたらいいのかわからず、とにかく色々な表現方法を試して、自分にふさわしい、自由に開かれた表現を模索しました。その頃にアマ・カンワというインドの実験的な映像作家の作品に感銘を受けて、私自身も実験的な映像作品を撮り始めたんです。

■エリーさんにとって、アートとはなんですか?
私は、世界は見えるものが全てではないと思っています。別の言い方をすると、私たちが見ている全ては、私たちが見えない事によって創造されている。その「見えない事」に向き合う事が私のアート作品なんです。主題になる人や現象と出会い、長く深く関わるうちに主題との関係性が変化していく事自体を、客観的なカメラが記録する、という手法によって、ドキュメンタリー(記録映像)とフィクション(物語)の境界がわからなくなるような作品になります。私は自分の映像を「実験的ドキュメンタリー」と位置づけています。それは客観的な事実に基づいた記録映像ではなく、私と主題との関係性自体を実験、記録する私の物語なんです。それは何か刺激的で突飛な驚くべき事ではなく、普通の日常から滲みでるユニークさに一喜一憂するような、静かな変化の軌跡です。
また、私の実験的ドキュメンタリーを観客と共有するためには、どんな場所で、どんな音響で、どんな風に編集された映像作品と出会うのか?という事が大切です。私は何かメッセージを伝えたいわけではなく、観客が私と一緒になにかについて深く考える事のできる場所を創りたいと思っています。ですから、映画館の様な場所で決められた時間に大勢で映像を見ることよりも、観客が主体的に映像と向き合う「場所」をつくることで、映像の向こう側で私が感じている「見えない事」を感じてもらえたらうれしいです。

■最後に、大町の皆さんに一言お願いします。
映像作品「ご飯、食べましたか?」は、私から皆さんへの質問のようなものです。私はあさひAIRに応募してからずっと「一粒のお米」について考えていました。大町の滞在制作を通して、本当に素敵な人たちに出会って、「一粒のお米」とはなんなのか、私なりの答えをみつけました。人とお米の自由な関係を考えながら制作した作品です。ぜひ、観て頂いた皆さんにも、「一粒のお米」について思いを巡らせていただけたらうれしいです。

 

・・・

エリー・キョンラン・ホは映像体験を追求している。

僕は作品「ご飯食べましたか」を観て、普段見ている映像の退屈さを改めて実感した。映像は20世紀に発明された最強の「記録媒体」である。テレビが普及し、あらゆる情報が映像化して大量に蓄積されることで、人類の世界認識は劇的に変化した。今世紀のめまぐるしい技術革新で情報化は加速し、僕らはとうとう映像を能動的に「みている」のか、受動的に「みせられている」のか、よくわからなくなってしまった。カット割りは考える間もないほど高速化し、サブリミナル効果のような速度で移り変わる映像が巷にあふれている。

そんな時代に、彼女は自分の作品をフィクションとドキュメンタリーを併せ持つ「主観的なドキュメンタリー」だと説明する。それは、多くの情報が映像化される時代に生まれた僕らが、能動的に映像を「みる」方法を模索している。誤解を恐れずにいうと、これから僕らが向き合わなければいけない映像の課題は「対象への想像力」ではないだろうか。

彼女は今回、百姓と子供たちによる稲の収穫を55分の映像作品にまとめて発表した。百姓のお米に対する愛情に感動した彼女は、登場人物との関係を映しこむ事で、僕らの想像を超えた言葉を引き出していく。鑑賞者に説明するためではなく、能動的に鑑賞すること、観た人がそれぞれ自由に感じるための工夫があふれていた。だからこそ、作品「ごはん食べましたか?」を通して僕は映像の退屈さを実感し、彼女が実現した映像体験に新しい可能性を感じたのだ。

コーディネーター:佐藤壮生

 

・・・

エリー・キョンラン・ホ Ellie Kyungran Heo

主題として選んだ記録映像をコラージュのようにつなぎ合わせる手法で、実験的な映像作品を制作するアーティスト兼映像作家。作家とテーマの間で生まれ、刻々と変化する交流、衝突、揺れ動く感性の経過を記録する。制作過程において、そのテーマと観客、そして作家自身の倫理的な関係性が問われる「場」を生み出そうと試みる。1976年韓国生まれ。高校美術教諭の経験を経たのち、ロンドン芸術大学卒業、ロイヤルカレッジオブアートを修了。

 

Ellie Kyungran Heo

Ellie Kyungran Heo is an artist-filmmaker. She makes experimental films by collaging performance with documentary footage of her subject, tracking how her relationship with the subject changes over time, with respect to conflict, intimacy and sensitivity. In so doing, she tries to create a space in which questions relating to the ethical relationship between the subject, the audience and the artist herself can be examined.

Share your thoughts