アナンダ・サーン Ananda Serne

☆このインタビューは信濃大町あさひAIR主催のアーティストインレジデンスプログラム2016の一環として行われ、展覧会に合わせて制作されたアーティストブックに掲載されました。

アナンダ・サーン Ananda Serne Interview

■信濃大町での滞在制作はいかがですか?
あさひAIRの公募を見たときに「水」というテーマに興味を持ちました。それで大町の大町の風景写真を何枚か見て、ぜひ行ってみたいと思いました。正直に言うと、私は素晴らしい風景で多くの観光客に愛されている様な場所がそんなに好きではないんです。変な話ですが、工場地帯の茂みが注目されてなくて、可哀そうに思えてしまうというか。でも前回、日本の都市を一人で歩いていて、信号が青になった時の音楽に驚いて、魂に来る音だなぁと思いました。日本のそういうテクノロジカルなイメージを更新するように、今回の大町を体験しています。実は、大町って私が今住んでいるノルウェーにすごく似てるんです。ダムも沢山あるし、大町は日本のノルウェーというイメージで、それは少しシュールなんです。

■アナンダさんはどんな子供だったんですか?
私は船の上で育ちました。小学校の寄宿舎に入るまで、周りに同年代の子供がいなかったので、「空想の世界」でひとり遊びをすることが多かったです。小学校に入ってすぐの週末に、家に帰って「お母さん、私に本当の友達ができたの!」と喜んでいたそうなので、友達ができたことはとてもうれしかったのですが、幼少期に周りの誰にも邪魔されずに一人で自由な空想ができたのは、とても豊かな事だったと思います。空想上の友達がいたわけではないですが、風景や物から色々な物語を空想して楽しんでました。
私たちの家だった船が停泊できる場所が、都市では周辺の工場地帯だったり、スイスアルプスの自然の中だったり、という対照的な2つの場所を行き来していたのも、私の空想の世界を盛り上げてくれていたように思います。

■アートに興味をもったのはなぜですか?
子供の頃の夢は、生物学者か作家になって、世界中を旅することでした。空想の世界が続いている感じで、イメージが頭の中に浮かんだ時に、それを現実の世界でどう表現できるのか、という方法を模索することが、私にとってのアートへ向かう理由なのだと思います。
そもそも、私は一つの場所に縛られず、ボートで生活するように旅を続けていたかったんです。そういう風に仕事ができる方法として、生物学者と同様に、アートはひとつの選択肢でした。絵を描くのが得意じゃなかったので、文章や写真、映像を使って、表現するということをしています。ある特定の場所で自分が感じた現象世界の音や匂い、物、風景を吸収して、私の中の知識や物語と混ざって何かが生まれる。私には明確な興味があって、ある場所で印象的だと感じる「新しい瞬間」が大切なエッセンスになって、それをどうやって視覚化できるのか、というテーマで作品を制作しています。それはある種、なに

かを追いかけているような感覚で、私が過去に制作した作品の先に、今の作品があるように感じています。

■アナンダさんの興味はどこにあるのでしょうか?
将来、みんながどのように「風景」を体験しているのかを調べたいと思っているんです。目の見えない人が、森の中を歩くのが好きだというのを本で読んだことがあるんですが、その体験を教えてほしい。きっと私が想像できないような世界を感じていると思うんです。そうやって、人それぞれが、それぞれの知覚で、それぞれ違った経験をひとつの場所からしていること、私たち人間がどのように「風景を五感で経験している」のかということを深めていきたいと思っています。そういう意味で、私は日本の風景がどのように経験されているのか、という事に興味を持っています。
今回の作品「高瀬川の木霊」では「エコー(反響・木霊)」をテーマにしていますが、これも今までずっと興味をもっているテーマなんです。例えば、私が育った船は海でどこにいるのか周辺の状況を計測するためにエコーロケーション(反響定位:自分から発した音が何かにぶつかって返ってきたもの(反響)を受信し、その方向と遅れによってぶつかってきたものの位置を知ること)という方法を使います。そういう経験が私の頭の後ろの方にあって、日本で高瀬渓谷に行って「やまびこ」や「木霊」という言葉に出会った時に、今回の作品の形が見えてくるんです。

■目の前の現象と経験が作品として混ざり合う。
私の作品は感情的ではありませんが、すごく気分に左右されています。最近、芸術大学の授業でも「調査」という言葉をよく使うんです。科学的な証明を主題に制作活動をしている人たちも多くいますし、美術館へ行くことがリソース(資源)調査と呼ばれたりする。それらはすごく感情と離れた主題への向き合い方で、それはそれで面白いと思うのですが、少し危険なのかもしれないと思っています。直観を深めていけるのがアートの良さだと思うので、すべてが説明可能だという錯覚によって、魔法としか思えないような瞬間を忘れてしまっているような気がするんです。

■大町の皆さんに一言お願いします。
ずっと同じ場所にいても、やっぱり私は新しい事で驚きたいといつも思っています。それは何か大きな出来事ではなくて、小さな音や、微かな匂い、そういう事から感じるのだと思います。そういう経験をさせて戴いて、本当に感謝しています。皆さんそれぞれが好きなように、私の作品を感じてください。

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アナンダ・サーンが見ている世界を、僕らは見てないのではないかと思う。彼女は「2つの場所に同時に存在する」可能性を創作テーマにしている。僕らの常識では、2つの場所に同時に存在する事は矛盾でしかない。しかし、素粒子物理学で観測前の電子が複数の場所に存在している事が証明されたように、ある視点、もしくは視点が消失するある地点において、僕らを構成する要素が2つの異なる場所に存在する可能性は、科学的にも否定できない。そこで問題になるのは、僕らはどのように世界を認識し、何を「存在」として捉えているのかという事だ。

彼女は作品「高瀬川の木霊」で、木霊(エコー)という現象の視覚化を追求した。自然環境と巨大土木構造物が共存するダム湖に反響した木霊を、人はどのように認識しているのか。彼女はそれを、コウモリがエコーロケーション(反響定位:自ら発した音が反響する事で周囲の環境を認識すること)で感知する世界や、時を超えてその場所に宿る魂のこと、植物が共感覚を持っていたら、と様々な観点から想像することで、見えない世界に踏み込んでいく。

彼女は明晰な目的意識と想像力で、存在が知覚できない現象に向き合っているのだ。認識とは曖昧なもので、知覚できなくても無意識に訴えてくる感覚がある。そういう第六感的な認識について、大乗仏教の「唯識」では、人間は8種類の識、五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)と意識の他に、2層の無意識(末那識、阿頼耶識)で世界を認識しているのだと説く。映像と冊子で構成された作品「高瀬川の木霊」の細部に、彼女が無意識と向き合った痕跡を感じれば、僕らは世界を再認識できるかもしれない。

コーディネーター 佐藤壮生

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アナンダ サーン

私は作品の素材になる音やイメージを探して様々な場所を訪れ、五感を通じて「ふたつの異なる場所に同時に存在する」という可能性を創作活動を出発点にしています。感覚と密接に繋がる記憶は、一つの場所にいながら、別の風景を反響させ、呼び覚ますことがあります。その観点から、私たちが「想像」するとき、風景がどのように作用し、曖昧で視覚化しにくい自然現象を、私たちがどのように捉えているかを模索しています。オランダ生まれ。アントワープのセントルーカス学校を卒業し、ベインハルト文化奨学生としてレイキャビックのアイスランドアカデミーで芸術学の修士号を取得。主な展示にコーパヴォグル美術館、ノルウェー若手現代美術展など。

 

Ananda Serné

My work consists primarily of text, video and photography. It derives from a fascination for the human desire to explore different kinds of landscape. The ability to be in two places at once through the senses has at multiple times served as a point of departure in my practice. The senses are closely connected to remembrance; they can function as an echo from the past or from another place. With these thoughts in the back o f my head, I aim to contemplate how landscapes shape our imagination and how specific landscapes or natural phenomena appeared in literary history

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