Jolene Mok 莫頌靈
☆このインタビューは信濃大町あさひAIR主催のアーティストインレジデンスプログラム2015の一環として行われ、展覧会「山・雪・生活」に伴うアーティストブックに掲載されました。
Jolene Mok 莫頌靈
香港出身の映像作家、Joleme Mok(ジョリーン・モク)は、世界各国のアーティストインレジデンスに参加し、精力的に活躍している。今回のあさひAIR滞在で制作している作品「家を守る」は、2015年秋に福岡アジア美術館のレジデンスで制作した作品「店を見る」に続き、そこに住む人々の生活風景に注目した作品だ。明るく聡明な彼女が、何に興味を持って活動しているのか、インタビューを行った。
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・いきなりだけど、ジョリーンはなぜ、アーティストになったの?
実は、私はアーティストです、って自己紹介したいわけじゃないの。香港での話なのかもしれないけど、アーティストの、好きなことを表現して、人生を楽しんで、世界を飛び回っているイメージって美しすぎると思う。私は自分を表現するのが好きだけど、声も大きいし、よくしゃべるし、もしかしたらうるさいかもしれない。だから、アートを通して私は表現を編集して、より具体的に、簡単にしていく、思考をろ過するようなプロセスでもあるのね。アイデアをろ過して、人と共有するためにね。そのためにはわかりやすくなきゃいけない。私はたくさんの事を人と共有したいの。あれもこれも、嬉しくて飛び跳ねたり走ったりするようなこと。もしかしたら他の人はわからないかもしれないけど、面白かったことや大切なことを話したい。そしてそれを人と共有する時の方法が、アートなんじゃないかな、と思う。だから、作品はただの作品で、人との関係性の方が私にとっては大切なこと。作品が次の出会いに導いてくれたりするから、作品も大切なんだけどね。
・人生の転換期、みたいな経験ってあった?
どうやって私が生き残ったか覚えてないけど、軍隊みたいな子供時代はあったと思う。世の中はこういうものっていう事を教えられて、つまらないけどそれに従ってた。最初にそうじゃなくてもいいって事に気が付いたのは大学時代だったかな。高校時代って色々な事を学ぶでしょ。そして大学に行ってそれをより深く学んでいく。だけど逆に、今まで学んだことを全部忘れる事が、本当は一番難しいことだったんだと思う。それがたぶん私をこんなにしちゃったんだと思うけど。(笑)とってもラッキーな経験だった。香港ではそれは普通のことではないから、私の友達もわからない人は多かったけど、私はそう思って、そこから始まった気がする。
大学卒業後の23歳から、社会学の大学教授と2年間仕事をしていた経験も大きな転機。彼女はジェンダーについて研究をしていて、40歳から60歳の中年女性の意識を調査していたの。私のお母さんも含めて25人から30人ぐらいの女性にインタビューをしていて、そこで記録映像の撮影をしてたのね。彼女はインタビューが上手だったから、そこから学んだことはたくさんあったと思う。でも、インタビューの後半で必ず、「ここで24歳の女性が映像を撮ってくれていますが、若い彼女になにかアドバイスはありますか?」って聞くのね。彼女たちが甘い結婚秘話から、もう本当に狂気的な体験談まで、様々な自分の物語を語っている間ずっと撮影しているのだけど、そこで急に私がその話の中に組み込まれてしまう。「はやく結婚して、子供を授かって、幸せな~~~」とか、「女性だからって自分自身のキャリアを大切にしなきゃ、これからの時代は~~」とか、彼女たちの人生を反映した色々なアドバイスをもらったのだけど、正直、この人にはなりたくない、あの人にもなりたくないって思ったんだ。私はその後家に帰って映像を編集しなきゃいけないから、その話を何度も何度も繰り返し聞かなきゃいけない。大変な仕事だったけど、そこから色々な事を学んだと思う。
・定型の未来が解体される経験だったんだね。なぜ、色々なレジデンスへ行き始めたの?
その後、何年かしてから、アメリカの大学院に留学した時、だれも自分の事を知らない場所にいくのは、とっても素敵な事だと知ったの。私が何をやってきたかじゃなくて、今この瞬間にどんな人間かで私を見てくれる。だから、何をしてもいい。最終的に、自分に何ができるのか?っていうことに集中して、その潜在能力を実感する事ができる。キャリアの話じゃなくて、単純に人として、色々な人が勝手に私のことを想像して、楽しんでくれる。私が私らしくいるだけで、人が好きになってくれるとしたら、こんなに素敵な事はないと思ったんだ。その人が私のことが好きだからうれしいとかそういう事ではなくて、その人が私を楽しんでくれる現実が素敵。それが今でもレジデンスに行っている理由なんだと思う。
・ジョリーンがよく言う、スペシャルっていう言葉が好き。楽しんでいる感じが伝わってくる。
だって楽しまなきゃ。私はここにきて、どこかに行ってしまう人なの。もちろんいつかまた戻ってきたいけど、車のひき逃げみたいに、その場所に来て、勝手に作品をつくって、出ていく様なことはしたくない。地域の人のためになにかしよう、なんて大げさだし、もし私がそうしたかったとしても、なかなかできない事だけど、もし私の存在を作品を通じて地域の人が楽しんで、、感じてくれたらうれしい。大声で、「私を楽しんでっ!」って言っても伝わらないからね。
だから私は、私の思った事しか言わないの。社交的であるために、社交的にする事はきらい。例えばそういう類のアートギャラリーのパーティーとか、みんなアート作品を見ていなくて、そこにいる人たちがいくらお金を稼いでいるかとか、どんな大きなプロジェクトをしているかとかを話しているんだけど、そういう事は全然重要じゃない。この前のひな祭りパーティーで、納豆の好きな女の子がいて、(ジョリーンも納豆が大好き)あなたが納豆ちゃんズって言ってたでしょ。好きなものを共有して喜べるっていうのはとっても素敵な事だと思う。自分にとってつまらない事は、いつまでもつまらないから。
・映像作家になったのはなぜ?
大学で勉強していた頃に、「動き」に興味をもったの。子供の頃にバレーやピアノ、スカッシュや卓球を10年以上習っていて、自分が動く感覚は知っていたのね。ダンサーは内側から、自分の核を意識して、その周りにある身体を動かしてスピンするし、卓球は状況に適応して素早く球に反応しなきゃいけない。ピアノは自分の指先を動かして聴覚を調整することだし、スカッシュはまた違うタイプの動きの整合性が必要。その感覚で周りを見たら、すべてのものは関係しあって動いてる、車も雲も繋がっていて、それだけで十分興味深かった。あまり何も起きてない空間でも、時間によって何かしらが動いていて、なにかの物語がそこに眠ってる。それを見つけられるかどうかは私の責任で、あちらから表現してくれるわけじゃないのね。そこに物語がある。だから、人の物語はその人が私と共有したいかどうかで知ることができるかどうかが決まるし、空間の物語はそこで私が見つけられるかどうかで決まる。そうやって「動き」から物語をみつけられるっていう事が、映像に興味をもった理由だと思う。
・信濃大町の第一印象は、どんな感じだった?
最初に、「山、雪、生活」をテーマに奇跡を起こすアーティスト募集っていう公募を見て、「私よ、私を呼んで」って思ったの。大町に来ないと何ができるかわからないけど、ウェブサイトに乗っていた雪の写真が素敵だった。降っている雪じゃなくて、家に積もっている雪。香港から着いた初日、駅からあさひAIRまでの道を1時間位迷って歩いた時、大町は安全な場所だなって安心した。
到着した次の日にあめ市でたくさんの人に出会って、それが普通だと思って翌日に行ってみると、人が全然いなくてすごく不思議だったな。大町温泉郷の雪花火もそう。だから、最初の1週間はとても変な感じ。何かマジカルな、必然的な場所や時間に恵まれているような気がする。それは、私が大町の風景よりも、大町の人に出会っているからかもしれない。あと、やっぱり山の大きさに驚いたかな、こんなに大きいとは思わなかった。今年はあまり雪が降らないのは残念だけど、一度だけすごく雪が降った夜はもう眠れなかった。直観的にきっと今日だけだろうって思ったし、すべてが雪に覆われていているのはやっぱり素敵だった。
・香港の実家が高層ビルの20階って言ってたけど、大町の家はどう?
その事は、今回の物語に関係しているんだ。私は一軒家に住んだことがなくて、いつもアパート暮らしだっから、その差を見る事が面白くて、もっと知りたいって感じてる。例えば紅絹ちゃんみたいに小さな子供の頃だと、日本の家はとっても大きく感じると思う。飛び回ることができるし、香港のそれとは全然違うなぁ、って感じた。小さな子供の頃に空間をどう捉えて、どうふるまうべきと教えられたのかって、大人になった時の人格形成にとても大きく影響していると思う。よくわからないけど、家で育った人の事がとっても面白いなぁと思ってる。
それと、造園をやってる菅沢さんの家(築100年以上)に行って、沢山の物語が眠ってる事に驚いたの。それが語られたり、見えるわけではないのだけど、想像する事ができる。そしてたぶん、その重さも。もちろん香港の家だって、いつも新しいアパートに入居するわけじゃないから、それまでその場所に住んできた人の物語がたくさん眠ってる。でも、その人たちとつながる事はできないし、空間も限定されているのだけど、ここでは空間で人がつながってる気がした。親から子供へ空間が受け継がれていて、4世代で百年間もつながっている。家の中には様々な要素があって、時間、空間、人、これだけで本当にたくさんの物語が想像できるわ。
あと、私が大町の家の中にいるって事自体が面白いの。だって、高台に登れば家はそこら中にあるでしょ、でも家の中に入る機会はなかなか得られない。それなのに私を家に入れてくれるっていう事は、信用してくれてるという事だし、歓迎されてるって感じる、食べ物をもらえるからだけじゃなくてね(笑)。私のためにドアを開けてくれて、家の中に招いてくれる事は、やっぱりすごい事だと思う。
・今回の作品「家を守る」をつくる理由は何?
「家を守る」の撮影で大町の色々な家を取材させてもらう中で、そこに住む人々の名前に、未来に向けられた願いが込められてることが面白いなって思ったの。みんな名前をもっていて、誰かがその人の未来のために名付けてる。それで、「店を見る」をもう一度見返した時、最後のエンドロールでそれぞれの名前が示す意味が面白く見えたんだ。それが、今回「名前」をテーマにするきっかけになっているんだと思う。私の名前はおじいちゃんが名付けてくれたの、ジョリーンは魂が歌うっていう意味なの。
去年の秋に福岡で制作した「店を見る」で私にとって一番大切だったのは、最後の最後で女の子が半分閉まったシャッターから出てくるシーンなの。私は福岡で、子供になった気分でお店を見ていたんだと思う。もし私があの女の子だったら、毎日あのシャッターをくぐって学校にいってるんだと想像して、その普通の生活がとても特別で素敵なことに感じたから。だからあの時は子供にナレーションしてもらって、その瞬間に映像に映っている動き自体を、現在形で説明したのね。日本語には時制(過去形、現在形、未来形)があるけど、中国語には「~した、~している、~するだろう」という様な時制の文法が無いの。そこで、今回の「家を守る」で名前をテーマにしたナレーションを、未来形の語り口で構成するアイデアを考えてるわ。まだ曖昧なアイデアだけど、私はだいたい3部作をひとつのまとまりとして捉えているから、「時間」「名前」の次に、「場所」をテーマに日本でまた作品制作をしたいと思ってる。場所として工場の様な空間をなんとなくイメージしていて、まだ全然わからないけど、その時は過去形でナレーションが入るかもしれない。
・それも楽しみだ。ねぇ、作品を見た人にどんな事を伝えたい?
物語にはコミュニケーションが大きく関わっていると思う。何かを知ろうとしたり、反応する事は、みんなが日々やっていることだと思う。私はその原因に注目していて、それが本当にそうなのか?何故そうなっているのか?その物語にどう反応できるのか?考える事はたくさんある。多くの人が世界がどうやって作用しているかを自覚していなくて、無意識的にあるべき、するべき姿になってしまってる。近代は、どんな出来事が未来に起こるのかっていうのが全部コントロールされていて、それが基本になっているけれど、それはある種の病気なんじゃないかって思う。ただ、それはすごく大きな世界の流れとして現実になってる。
だから、私は広告が嫌いなんだ。プロダクトを甘い砂糖をまぶした状態で提示して売ろうとするけど、基本的にそれは私の生活に全く必要のないもの。すべては、そういう部分でつながっていたりする。「店を見る」を見せた時、日本の人に今まで見たことの無い視点だったと驚かれた事があるの。でも、私にとってそれは目の前にあるもので、そこで驚いた人自身もいつもやっている事だったりする。今回も似ている部分があって、「家を守る」に出てくる人たちが家の中でしているのは、本当になんでもない普通のことなのだけど、その普通のなんでもない事を、ちゃんと毎日やっていることがスペシャルなんだって事が伝わったらうれしい。
そう考えると、私は瞬間と瞬間の間に興味があるんだと思う。それは、探したら逃げてしまうような、なんでもない瞬間。劇的な瞬間よりもなんでもない瞬間に惹かれるのは、そんな普通の瞬間の積み重ねが、特別な瞬間を生んでいると思うから。私は撮影している時、なんでもない瞬間を、ただ待っているというか、私がいたとしても、被写体が自然になる瞬間を探してる。今回の作品で、もっと地元の普通の人を撮影した方がいいと言われた事があったのだけど、私自身はそんなに気にしてないの。なぜかというと、どんな特徴的で奇抜な人でも普通の瞬間があって、逆にどんな普通な人も、どこかで特別な瞬間があるから。だからこそ、普通の、自然ななんでもない瞬間に、特別なことを期待するような隙間があって、私はそれが好きなんだと思う。
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「山」
「家を守る」には1カットだけ、山が映っているシーンがあります。松葉屋旅館の望楼で、中村保子さんがお茶を飲んで、一息ついているシーンです。保子さんの背後にパノラマに広がる窓から、大町を囲む山の一部を見る事ができます。この作品で山はこれ以外現れませんが、映像として直接表現しなくても、山は作品制作に大きな影響を与えています。
映像に出演している方々は全員、大町市特有の山に囲まれた風景の中で暮らしています。山は大町に住む人達の日々を形作り、それがこの土地や人物の固有性として作品に表れています。そこで私は直接的に山を撮影するのではなく、山を見上げる風景の中で暮らす人々の、何気ない日常を撮影したいと思いました。古民家や現代的な一軒家、アパート等を含めた8つの家庭の生活空間を撮影して、家で行われる何気ない日常のふるまいを記録する事が、この作品の狙いです。
「雪」
残念ながら今年は、30年に1度と言われるほど降雪量の少ない冬でした。正直、「雪」を制作テーマのひとつとして提示しているあさひAIRのレジデンスを訪れ、一面の雪景色を期待していました。地域の人達がどのように雪と一緒に暮らしているのか?という事に興味があり、家の前で雪かきをする人、大きな除雪機で豪快に道路整備する姿や、屋根から定期的に落ちる雪を見る事などを期待していたのですが、なかなか遭遇できませんでした。
最初の2週間「雪は降る、きっと降る、ちょっと待てればいい」と
自分に言い聞かせていましたが、待てば待つほどそれが失敗だった事に気づかされました。私は6週間のレジデンスで新しい作品を創るために来ているのに、一面雪景色の世界に生活する人達を空想しすぎたのだと思います。私が雪を味わえないという事は、地元の人たちも雪のある冬を楽しんでいないという事です。そう考えると、降らない雪を嘆くのではなく、地域住民の暮らし、この土地で生きているそのままの姿に注目しなければいけないと思いました。そこで地域の家族の何気ない日常を観察する事へ視点を変えた事が、自分の作品の新しい方向性を指示してくれたました。だから今では雪の少ない大町へ来れた事を感謝しています。
「生活」
今回のテーマである三つの要素「山・雪・生活」の中でも、「生活」はとくに抽象的な概念だと思います。生活は山や雪の様な物質ではないので、簡単に表現したり、視覚化する事ができません。そう考えると「生活」は多様な方法で認識される、それぞれの精神状態の集合ともいう事ができます。
大町に住んでいる8つの家庭の何気ない日常に注目し始めてから、私はそれぞれの家族を繋げるための共通項として、「名前」を見つけました。「家を守る」の物語はプロジェクトに参加してくれた人達の名前にまつわる話しを伺いながら組みあがっていきました。観てくれた人が、私達の名前がどのように家族で生きるという事を関係しているのか、改めて考える機会になれば幸いです。
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ジョリーンに初めてあった時、僕は一目で彼女の聡明でハッピーな性格が好きになった。彼女は大町に到着した翌日、あめ市で素敵な家族と出会い、それをきっかけに映像作品「家を守る」をつくりはじめる。彼女の撮影に同伴して話しているうちに、アートはコミュニケーションである、という事を改めて感じた。彼女の作品には大町に住む家族と彼女自身のリアルな関係性が表れている。親が子供を見る優しい視線や、何度も繰り返された夫婦の共同作業から家族の暖かさを感じるのは、その瞬間を撮影し、作品として編集する彼女の愛情が表れているのだ。映像の最初に松葉屋の中村保子さんが障子戸をすーっと開けた時に感じた長い月日と、最後に奏和ちゃんが立て付けの悪い障子戸をがんばって開ける風景が重なって、人が生きることの大きな循環を感じた。そして「家を守る」を観終わった時、そこに映しだされた家族の何気ない日常風景が、出会いや別れや決意や諦めなどを含んだ沢山の奇跡に支えられている気がして、なんだかとても嬉しくなった。
「僕はアーティストは奇跡を起こす能力を秘めていると思う。それはアーティストが自らの直感を確信し、なんらかの形で具現化する事で、生きている事を更新していく人達だからです。これから世界は、もっともっと情報があふれ、様々なことが効率化し、色々な既存の仕事がコンピューターに移行していくのではないかと思います。そんな時に大切なのは、1人の人間として、自分自身でやりたい事を発見し、こだわる能力なのではないでしょうか?」
上記の文章(抜粋)で2015年12月に「山・雪・生活」をテーマにして奇跡を起こすアーティストを募集した。一か月間の公募期間で、14か国・52名の様々なアーティストから信濃大町での作品提案が集まった。そして、第一回あさひAIR滞在アーティストとして、Jolene Mok、大平由香理、松田壯統の3名が信濃大町に訪れ、2月上旬から約50日間の滞在制作が行われた。僕は今回、奇跡が起きたと思っている。ただ、奇跡というのは言葉にしてしまうと、うまく伝わらない。北アルプスの神々しさを描く大平由香理。自然と人間の共生関係を声から見出した松田壯統。愛をもって家族の肖像を撮影したジョリーン・モク。三者三様の表現によって現れた信濃大町の現在が、また少しずつ更新されていく。
あさひAIRコーディネーター 佐藤壮生