記録すること:瀬戸内国際芸術祭01

最近は、もっぱら瀬戸内国際芸術祭2022の記録集を編集している。

作品数214、12の島と高松港、宇野港を含め14のエリアで広域に開催された芸術祭。

語るべきことが膨大で、何をどう記録していいのか暗中模索ながら、肝要なのは「アートの可能性」を記録することなのだと思っている。

 

1989年、直島に安藤忠雄が設計したキャンプ場が生まれた。その3年後には美術館とホテルが一体となったベネッセハウスがオープン。現代美術の展覧会を積極的に開催し、1996年より特定の場所に根ざしたサイトスペシフィックアートへ方針を定めた。1998年には直島の空き家にアーティストが滞在して恒久作品を制作する「家プロジェクト」が始まり、2004年にクロード・モネの「睡蓮」を展示するために設計された地中美術館が開館する。これが、瀬戸内海のアートが今のように国際的に知られる土台をつくった。

 

2010年に「海の復権」をテーマに掲げて第一回瀬戸内国際芸術祭が開催されると、瀬戸内海のアートは間口を大きく広げる。国内外のアーティストが島に訪れ、アーティストのラディカルな視点と土地の多様性が交錯し、その結合点に作品が立ち上がる。このダイナミズムを、言葉でうまく説明できないのがもどかしい。

 

アーティストは、なにかしらの目的をもって作品を制作する。本質を求める者、愛をこめる者、革命を起こす者、生活を美しくする者、物語を伝える者。それぞれの生理に本気でこたえる能力に関して、アーティストは第一線にいる。観念が現象化する魔法のような瞬間を積み重ねて、いつも未知へ歩き続ける。そのプロセスに、土地が関わることで、場があることで、表に現れる作品に土地の因子が混ぜこまれる。

 

土地の方から語ると、話はより複雑になる。それは作家がその場所をどのように経験したのか、どんな観点から認識したのかによって、作品に混ぜ込まれる土地の因子に無限の可能性があるからだ。アーティストの磯辺行久は、場を多元的に認識するため、地学要素、気象要素、生物(植生)要素、そして人為的要素の4つの断面を想定した。平面的な分類ではなく、古代から現在までが積層した立体的な土地の特性。

 

島に訪れたアーティストは、独自のスタイルで場を感じる。そこで認識され作品と混ざり合う土地の因子は、険しい崖を下りる経験かもしれないし、海風の冷たさかもしれない。道端の小さな花かもしれないし、民話を語る老人の手かもしれない。それらの無意識で通り過ぎてしまいそうな場の要素を、アーティストが掬いとる。表現する人が、表に現す。

 

そうやって、アーティストと土地が交錯したところに、200以上の作品が立ちあがった。これが芸術祭という現象の醍醐味だと思う。観客が芸術祭に迷い込むと、今を生きる表現者の生理と共に、時を超えた土地の因子と出会うことができる。個人的には、それを巡る体験がタイムマシーンみたいな気がして面白い。そう考えると、サイトスペシフィックアートに特化した日本の芸術祭を、アートが表現する土地の因子の具体例として記録することは、ひとつの基軸になると思う。

 

つづく。

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