水川千春 Chiharu Mizukawa

☆このインタビューは2014年に実施され、Sourcepanic#2に掲載されました。

水川千春さんは8年間の移動生活をしながら、日本各地の廃墟、空屋、閉店舗、古いアパート、ドヤ、バー等に滞在し、その生活の近くで拾った「生もの」を素材に作品を制作している。フラジャイルで変化し続ける作品をノマド的に創り続ける彼女に、いままでの制作活動を振り返りながら、原始感覚美術祭で制作している「炙り絵」への思いを話してもらった。

— ずっと炙りだしで絵を描いているの?
「8年前から炙り始めていたんですけど、最初の頃は結構、他の生ものを使う事の方が多かったです。近所のスーパーで賞味期限切れで捨てられる牛乳とかがすごく気になって、それをもらってきて、ゼラチンで固めて、展覧会の会期中に真っ白い絵が腐っていく展示をやったりした。時間が経つとカビですごい色とりどりになって。それは色んな力が働いて途中でアクリルで封印されましたけど、お客に危険が及ぶということで(笑)。でもすごく美しくて、最後は白カビになって、また白に戻っていったりと、なんだか、展示中に手を離れる作品がすごい多いんです。廃材を最初に拾うところから始めていたから、滞在製作先でも一回そこで生活して自分が住んでみて、その中からなにか捨てられた生モノを拾う、みたいなやり方をしていた。」

— 生モノってどういうものなんだろう?
「生モノはコントロールできないもの、水分なんだろうと思う。腐るとか、その反対の退化するもの、育つものも同じ動きだと思うけど、どんどん干乾びていく作品もあります。自分のお風呂の残り湯をゼラチンで固めて、それを包丁で彫刻して水晶、宝石の形にするシリーズがあって、それがまた、会期中にどんどん消えていって、宝石の石がすごく溶けていく日もあれば、どんどんミイラ化して、本当の化石というか、石みたいになる。最後には水だけ抜けるのて、繊維というか、湯の中のものとゼラチンだけになって、琥珀みたいな感じにミイラ化するんです。
時間と共に変化するっていう要素の作品がすごく多くて、そうなると素材はいつも生モノが気になります。だいたい生活してる場の近くから拾ってくるんです。風呂場でとって、台所で製作する、みたいな感じかな。私はもともと美大とか行ってないから、技法も無くて、最初は FR P とかもわからず、固めるっていうとスーパーのゼラチンしか知らない。彫るのも、まな板の上でチーズを彫ったりとかしていて、そういう生活と製作を一緒にしながら移動していました。」

— 炙りだしも生モノ?
「炙りも生モノ。火は普遍的で絶対的なきっかけとして使っていて。ただ火が持っている、コントロール自分がしきらんっていうのは、生モノの作品を作っていく時とそんなに変わらんくて。水を塗り重ねて、何層も重ねて濃淡を調節して、最後に焼くんだけど。その水の中にある粒子が紙の厚みの中で火に触れて、目に見える粒になって出てくる。焦げ目の色、水の中に含まれている物が焦げて炭素になる。それで残り湯を炙ってみようって思って、牛乳と別のシリーズで、廃材を拾うのと同じ感覚で残り湯を炙り始めたんです。
ただ、ちょっとこう、自分の入った湯だから、自分と距離が近い生モノとして、透明な水を炙るっていう行為。その時はまだ全然手法にはなってなかったけど、各地で色んな場所に行って、廃墟に住むような滞在製作や、寿町のドヤだったり、沖縄の戦後の市場とか、ダイオキシン問題で閉鎖した工場跡地に住むとか、黄金町のチョンの間の跡地に住み込むとかしていた」

— 場所がなんか生モノっぽいね
「そう、生モノっぽいでしょ、どこか湿度のある場所に縁があったんだよね。でもその場所に関わり始めると、それもたまたまなんだけど、自分の残り湯だけだったのが銭湯になったりして。滞在した新宿のバーには風呂が無かったから、歌舞伎町の銭湯に通って製作したりしていた。そうすると割と自然になんだけど、今回はこれ使えると思って、初めて銭湯に湯をいっぱい頂いたりとか、その段階でその地域との関わりとか、その場所で関わる人の量とかが比例して増えたんです」

「炙りだしって水が汚れているから濃く出るという面もあるんだけど、私は割と、本当は色が出ても出なくてもどっちでもよくて。どうなるかわからずに自分がその場所に入るから、この「30 代女」みたいな人間をポンってその場所に入れてみて、パァーって一通り暮らしだしたりすると、色んな人に会ったりとか、その場所の事が入ってきたりだとか。どんどんどんどん自分もある程度変わっていくのを実験してる。あぁ、今回はこういう事で泣くんや、とか、こういう事に傷つくんや、とか、こういう人に会って、こういう言葉が気になったんや、みたいな事が自分の個人的な体験として積まれていって。でもそれがすごい普遍というか、自分のセンスみたいな物よりも、このひとつの体、生き物、という素材を滞在製作に使うっていう感じがあって。その滞在生活の中から今回は何を拾うんでしょう、この人、みたいな感じで見ている気がしてる。」

— 自分自身が素材になるんだ。
「この場所はこの水なんじゃないかっていう選択をする時に、その場所を現すものを拾おうといつもしているはずなんだけど、でも一回自分が混ざってから。自分の残り湯はやっぱり自分なんだけど、歌舞伎町のバーとかになると、そこで暮らす女の人と一緒に入るわけで、そうなると素材としてそれを身近になる。素材が遠いとそれはやっぱり使えないんだけど、段々それが使えるようになってきて、別府で温泉が使えるようになるとか。なんで今回は
温泉なんですか?って聞かれたら、その選択は個人的で、誰々と一緒に行ったあの風呂の湯にしよ、みたいな感じで選ぶから。あの湯、あの場所にああいう人たちが居て、とか。俯瞰して一気に物が見えないタイプだから、それまでは必死な一人の個人の出来事として積まれていくだけだけど、作品を展示をして去る時に、あぁなるほどってわかる、という感じ。そう、どっかでそれを俯瞰して見ている時もあるけど。」

— その場所を去る時に腑に落ちるんだ。
「落ちる。この場所はこういう場所だったんだなって思って。あぁ、あの水もこんな水だったんだな、とか。だから今回はこの場所で、あの水を汲んだんやな、とかは後からわかる。最初は自分の残り湯から始まって、歌舞伎町の銭湯になって、別府で温泉になって、その後に川、隅田川を一本まるまる炙った事があって、その後は雨になって。それで2年前に石巻で初めて海を汲んで炙った。海を素材として自分が汲める様になるまで 残り湯からずっと繋がってきたもの、8年間の一滴一滴を自分の事として積んでくるのが必要だったんだって思う。

それで海を汲んだ時、やっぱり一番濃くて、有機物を焼いている感じがすごいあった。それは今まで炙った残り湯も入っているし、銭湯、雨、川、やっぱり全部あるわ、っていう。その時に各地の、温泉なら温泉、あの時の銭湯に関わるだけで精一杯だった自分の関わる物の量がすっごい増えてた。」

— 海を汲んで、炙るため道のりだった。
「石巻にはその前から通っていて、宮城と福島にも行ってた。最初はやる事ないからヘドロだしのボランティアとかしていて。そこで知り合いができて年に何回か通うようになって、向こうの過程とかも見ているし、その時に関わった人が段々自分の生活を立て直していく中で関わっていたり。でも、せっかく津波で助かったのに、半年後に亡くなってしまって、滞在製作中にお葬式にでるとか、そういう滞在だった。

でも海に繋がったのは自分の個人的な出来事として、人の体験を聞いて汲むことになって。自分が人だから、関わるのもやっぱり人から関わっていくというか、繋がっていたんだなぁと思って。 でもそこからもっともっと違うところまで、はいっていった。津波の後っていう事もあったし、その時に関わる時に、やっぱりすごい、人ってこんなんなんや、みたいな。関わる量もすごい多くなって、津波が起こったのはまだ近い過去だから、家族がこの海の中にいるとか、まだそういう話もどんどん聞いていた。人の悲しみっていう理解を持っていたんだけど、なんか海を炙った時、それよりもずっと奥、なんか粒子と粒子が紙の上で、パッと出てきた時に、「再会」みたいな。再会、再会、再会、っていう感じがして。それは亡くなった家族が再会とかではなくて、もっとずーっと昔に、亀と魚だった、すごく昔の愛しい親友同士だった記憶。その記憶の粒子が紙の上で再会してる、その焦げの中の粒が見えた瞬間があった。海の水を炙るっていうのが、自分が個人的に関わってきた単位を超えているんだけど、なんかその時に、もうひとつその、古い再会みたいな物も同時に触れて、8年間積んできた水も居ることがすごいわかったし、それ以外の事もすごくわかる瞬間があって。その海を炙ったのはすごい大きな出来事だったんです。」

透明な水で描かれた白い紙か、炙られることでゆっくりとその記憶の輪郭を現す。彼女はこの方法を介して、海で太古の粒子が再会する瞬間を体験した。そして風呂の残り湯から始まった水川さんと水の物語は、八年の歳月をかけて海へと流れでた。その彼女は今回、その海から遡って木崎湖へとやってきた。

「今回、海の水と塩を使ってます。木崎湖から塩の道を辿って。糸魚川の海に行って、海の水を頂いてきた、あと塩。海水が焦げて出た茶色と、火に触れた塩水があるキッカケで紙の上に白く結晶化するんです。それで、今回の炙りは絵の上にその白い結晶をたくさん生やしてきました。でも、制作中のある日、大雨が降ってその湿気で結晶が、ぜんぶ海の水の粒に戻って消えてた。えーってなったけど、でも次の日、日光にあたって、また絵の上に結晶が再び生えてきていて。そこから何日か、呼吸するみたいに塩が行ったり来たりしてました。絵の中で同じラインに前の結晶が出てくるんだけど、紙の上で一度海に戻っているから、水になって流れた記憶をとどめていて、前とは少しだけ、また様子が違ってくる。塩は思った以上に生もので、もう栽培しているみたいだった。」

炙り絵の前に立っていると、絵そのものがまだ生きて動いているように、たった五分の間にさえ、刻々と位相が変わっていくような不思議な印象を受ける。湖の見える海ノ口公民館で、凛とした姿勢で炙り絵をする彼女の姿は、、水に溶けこんだ様々な要素を受容し、炭素化の方法によってなにかを浄化していく儀式しているようだった。

Interviewed by 佐藤壮生 2014
掲載:SOURCEPANIC#02 特集:原始感覚

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