松田壯統 Masanori Matsuda

☆このインタビューは信濃大町あさひAIR主催のアーティストインレジデンスプログラム2015の一環として行われ、展覧会「山・雪・生活」に伴うアーティストブックに掲載されました。

松田壯統 Masanori Matsuda

● 大町に来て、いかがですか?
雪が降る境界線上にある町だっていう事が興味深いです。雪に囲まれると音が吸収される事だとか、籠った場所にいる感じだとか、なにか秘密をもった気がして、どこかワクワクしました。道路が雪で覆われているのと溶けた後では全然違う体感を受けました。

● 松田さんはどんな少年時代を過ごしたんですか?
沢山の友達と遊んでいたけど、その中心にいるような子ではなかったです。自分の部屋の中で、そこら辺のおもちゃを迷路みたいにして並べて遊ぶのが好きでした。小学校の時、例えば10人位のグループで遊んでいたら、10人中5人はグランドでサッカーをしてる。夕方位になると、サッカーしつつ、グランドの遊具の上でサッカーを眺めていたりするような、風景の中に入ったり、それを外に出て眺めたりするっていう、行ったり来たりが結構好きでした。あと、家に帰ってきて、普段はいる母親が夕方に帰ってこない時、もうずっと帰ってこないんじゃないかと思った感覚が、今も残っている気がします。
中学2年生の時に突然、地震を経験しました。阪神淡路大震災ですね、朝の五時頃。全員違う部屋に寝てたんですが、一階は全部つぶれて、両親が寝ている所はがれきに埋まっていて、僕と妹がいた家の半分が残っている状態だったんです。僕の部屋の壁が一面崩れていて、起きたら映画のスクリーンの様に外が瓦礫になっていた、という世界ですね。父親は体ごと埋まったんですが自力で出る事ができて、母親は父が助け出したんです。母は襖が三重位に重なって、それがクッションになってなんとか助かったんですが、それが無かったら母は死んでいたと思います。
妹が瓦礫ごしに僕の部屋に来て、ふたりで一緒に家の外のがれきを越えてると、外壁の角から人だかりが見下ろせたんです。そこから外壁をつたって高いところから、それこそ演説のように、「家族を助けてください」と言ったのをよく覚えています。まだ震災の規模もわかっていませんでしたし、その時はまだ、どういう状態かよくみんなわかってない状況だったと思います。

● 震災の経験が、松田さんの創作活動に影響を与えてますか?
タンスだとかベッドだとかがある普通の生活している場所が、いきなり瓦礫になった経験をしたことで、今まで現実だと思っていたものが突然演劇的になった経験があります。魂がなくなるというか、今までの生活を保っていた推進力みたいのが変化したんですね。
それまで築100年位の古い家を改装して住んでいたんですが、中には床の間だとか、縁側だとかが、残っていたんです。それが新しい、それこそなんとかホームとか、そういう感じの家に急いで建て替えられた事で、全部それがフラットに、それがフラットかどうかわからないですけど、何かが消えることで、過去のそこに、何があったんだろう、と考える機会が増えて、見えない力をより意識しました。
それを本当に意識し始めたのは、直島っていう所で初めて空間芸術的なものを見たのがきっかけでした。空間全体というか、体験型のアートというか。ジェームス・タレルという人の作品だったんですが、部屋の突き当りに穴が開いていて、白い壁がある。そこにずっといると、白色を塗っているところが明かりのように浮き出てくる。真っ暗な所で、白が徐々に浮き出てきて、空間が変容していくのを時間軸として体感しました。それを見た時、空間全体が変わっていくような構造が、地震が来た時のすべてが変質してしまう感覚と似ているな、と思いました。

● なぜ、アーティストになったのですか?
今僕たちがいる世界が、形のある世界とするならば、もうひとつの世界での生活を、そこでし続けている感じです。シンプルに言うと、もうひとつの人生、なんですが、それをどう伝えればいいのか・・・。より、自分の事をわかるための世界というか。それを探し続けられる世界ですよね。

● 今回の作品「雪の裏側」では、どんなことを探しているんですか?


雪景色の中で、息をすること自体に注目すると、息が雪の方に浸透していく感じがします。息は光や雪の粒子が含まれていて、それが混ざり合いながら、身体の内側と外の環境をつないでいる。息について考えるために、雪を感じている気がして、太陽と月が入れ替わって昼と夜があるように、息をすることによって、内と外の世界を行き来しているような感じがします。内と外の世界を行き来するスピードが早くなると、やっぱり違う世界に足を踏み入れる事になるので、いつのまにかその世界に引っ張られていく。そうなってくると、身体が分解されていくような感じが出てくる。
そこまでたどり着くと、ただ、息をしているだけっていう感覚が、息をすることで、身体が粒子になったり、もどったり。それを、すべての生命がしている事を想像すると、自然を息でコントロールしているような気がしてくるんです。息をすることが、空間が明るくなったり暗くなったりする感じや、雪を溶かしたり凍らせたりする感じにも思えてくる。
若一王子神社の権禰宜さんが低い声を出して神様を呼ぶときや、オペラ歌手の羽渕さんが木崎湖の桟橋で水面に向かって声を出すときに何が起こっているのか?竜神湖の水面の反射や、温泉の湯気で曖昧になる木の枝が、どこかで息と繋がっているんじゃないか?息が光に押されて、雪を溶かしたり、雪に入り込んだりして遊んでいる感じがする。そこを作品で行き来をする事が、今回の目的のような気がしています。

・・・

雪の裏側
松田壯統

真っ白が世界をつつんでいるなか、
暗闇の山の麓を歩く、
そこには私の息が存在していた。
ふだんはきこえない息はいつのまにか私を消して広がり、
雪に囲まれている事に気づいてしまう。
私より先に、息が気づく。

怖くなった私はくらしの光を灯し、声をあげる。
光に灯された息は雪につつまれていた。

息が私のものになると安心した私は
ふたたび光を消すことができるだろうか。
そのうちまた私の息が忘れ去られる。

神様を呼ぶ声、自然へととどける声、空間に向かって声をあげる事
それは目の前に広がる空間にたたずむ
息という見えない想いを押しふるわせていく

息と雪が出会う時、思いと雪が出会う時
雪は溶ける。
そしてそこに新しい水は生まれた。

大町に住む人の様々な想いが、雪をとかし、水をつくる
新しい緑、新しい山、新しい川、新しい霧、新しい雲、新しい声、
新しい想い、新しい春

そして新しいあなた。
そして忘れられた息。

・・・

【雪】
ふと、松田壯統は「自分を味わう」という事をしているのではないかと感じたりする。こういう人がいっぱいいたら、世の中はもっと自由で面白いだろうという、無根拠な自信がある。彼は今回の作品「雪の裏側」で、自然と人をつなぐ「息」に注目した。真夜中のコンビニで、「息が、暗闇と雪に包まれている」という話を聞いた時、僕は自分の息だけが聞こえる状態に新鮮な驚きを感じた。
10個の小さなスピーカーから息の音が流れている。五角形に仕切られたスクリーンにはそれぞれ映像が映し出され、中心に置かれた机を囲む4つのディスプレイ映像は呼吸に合わせて明滅している。机の上に、モミの木をさした大きなガラス瓶があり、内側で結露した水滴に照明が当てられている。スクリーンの一つに、森の中で若一王子神社の権禰宜とオペラ歌手が出会う映像が投影されていた。ゆっくりと歌いながら弧を描いて歩くオペラ歌手が通り過ぎてから、一礼した後に声を発する権禰宜。水の神様が通り過ぎていく様な不思議な感覚が混じる印象的なシーンだ。息と共に吐き出された声が、自然の大きな循環と混ざり合って、僕の身体を拡張する。音や映像やオブジェによって、息を自覚するプロセスを追体験する。そして、僕らは未だ感じたことの無い現在を更新する。

奇跡を起こすアーティスト
「僕はアーティストは奇跡を起こす能力を秘めていると思う。それはアーティストが自らの直感を確信し、なんらかの形で具現化する事で、生きている事を更新していく人達だからです。これから世界は、もっともっと情報があふれ、様々なことが効率化し、色々な既存の仕事がコンピューターに移行していくのではないかと思います。そんな時に大切なのは、1人の人間として、自分自身でやりたい事を発見し、こだわる能力なのではないでしょうか?」
上記の文章(抜粋)で2015年12月に「山・雪・生活」をテーマにして奇跡を起こすアーティストを募集した。一か月間の公募期間で、14か国・52名の様々なアーティストから信濃大町での作品提案が集まった。そして、第一回あさひAIR滞在アーティストとして、Jolene Mok、大平由香理、松田壯統の3名が信濃大町に訪れ、2月上旬から約50日間の滞在制作が行われた。僕は今回、奇跡が起きたと思っている。ただ、奇跡というのは言葉にしてしまうと、うまく伝わらない。北アルプスの神々しさを描く大平由香理。自然と人間の共生関係を声から見出した松田壯統。愛をもって家族の肖像を撮影したジョリーン・モク。三者三様の表現によって現れた信濃大町の現在が、また少しずつ更新されていく。
あさひAIRコーディネーター 佐藤壮生

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